天文学者が発見したのは、地球に衝突する巨大な彗星。だが警告を発した彼らの声は、政治とメディアの喧騒の中に飲み込まれていく。舞台は現代アメリカ、監督はアダム・マッケイ。レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープという豪華な顔ぶれが、絶望と滑稽の狭間に立つ人間を演じる。世界が滅びるかどうかよりも、誰が「いいね」を押すかが優先されるこの時代、そこに映るのは恐怖よりも鈍感という名の悲劇である。

制作年/制作国:2021年/アメリカ
上映時間:138分
監督:アダム・マッケイ
主演:レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・ローレンス、メリル・ストリープ
ジャンル:社会風刺/コメディ/ドラマ
あらすじ
物語の始まり
ミシガン州の天文台。大学院生ケイト・ディビアスキーが観測中に見つけたのは、地球へ直進する巨大な彗星だった。教授のランドール・ミンディは計算を重ね、6か月後に衝突するという結果を導き出す。ふたりはNASAを通じて政府に報告するが、ホワイトハウスでは大統領の政治的スケジュールが優先され、「中間選挙後に対応を検討する」と軽くあしらわれる。
やがてメディア出演の機会を得た二人は、生放送のトーク番組で地球滅亡の危機を訴える。しかしスタジオでは軽妙な笑いが流れ、司会者は話題を恋愛スキャンダルに逸らす。ケイトは憤りのままに怒鳴り、ネットでは“ヒステリックな女性”として拡散される。真実を伝えようとする声が、情報のノイズにかき消されていく。
物語の変化
政府は突如態度を変え、巨大企業の思惑を絡めた「彗星資源採掘計画」を発表する。人類を救うはずの科学は、利益のための道具へとすり替えられる。ランドールは学者としての使命と名声の狭間で揺れ、メディアに持てはやされるうちに自身も流れに飲み込まれていく。一方のケイトは失望と怒りを抱え、真実を伝えるために地道な活動を続ける。
街には「ドント・ルック・アップ」というスローガンが掲げられ、空を見上げること自体が政治的立場を示す行為となる。誰もが数字とフォロワーに囚われ、空に迫る白い光から目を逸らす。世界は終末を目前にしながら、まるでそれが娯楽の一部であるかのように笑っていた。
物語が動き出す終盤
彗星は肉眼でも見える距離に近づき、空は赤く染まり始める。人々はついに現実を認めるが、すでに遅い。政府の計画は失敗に終わり、逃げ場のない世界で、それぞれが最期の時間をどう生きるかを選ぶ。ランドールはケイトや家族と共に、静かな食卓を囲む。皿の上にはありふれた料理が並び、穏やかな会話が交わされる。
テレビの音もなく、窓の外では空が光に包まれていく。恐怖も混乱もなく、ただ小さな祈りのように笑顔が広がる。世界の終わりは爆発ではなく、静けさの中に訪れる。人間は最後まで、誰かと共にいることを望む生き物なのだと、その瞬間が語っている。
印象に残る瞬間
夜の郊外、街の明かりが遠く霞み、空には赤い帯のような光が広がっている。誰もいない道路をケイトが一人で歩き、靴の音がアスファルトに乾いた響きを残す。風が吹くたびに看板が軋み、紙くずが舞い上がり、どこかで車の警報が途切れ途切れに鳴る。その音のすべてが、世界が終わりに近づいていることを告げているようだった。ケイトは立ち止まり、空を見上げる。そこには確かに彗星があった。遠くで燃えるように光を放ち、ゆっくりと近づいてくる。恐怖よりも先に訪れるのは、現実を理解する静けさだった。
一方、ランドールは自宅のテーブルに手を置き、家族の声を聞きながら、目の前の皿に視線を落とす。何気ない夕食の光景に、これまで見過ごしてきた時間の重みが宿る。照明は柔らかく、空気の中にわずかな埃が浮かび、世界が消えようとする瞬間でさえ、生活はそこにある。カメラは表情を追わず、手や光や呼吸を映し、終末を穏やかな日常の延長として捉える。破滅の音はなく、沈黙の中で心臓の鼓動だけが響く。人間は終わりの瞬間でさえ、生きるように呼吸をしている。

見どころ・テーマ解説
現実が照らす人間の輪郭
アダム・マッケイ監督はこの作品を、災害映画ではなく現代社会の鏡として描いています。彗星という比喩を使いながら、見ようとしない人間の姿を真正面から映し出しています。ニュース番組の照明の明るさ、SNSの過剰な言葉、政治家の軽薄な笑い、すべてが現実と地続きのまま進んでいきます。観客はその中に自分の姿を見出し、笑いながらも居心地の悪さを感じます。現実を照らしているのは恐怖ではなく、人間の無関心なのだと気づかされます。
真実と欺瞞のはざまで
ランドールとケイトの行動は、最初こそ使命感に満ちていますが、時間の経過とともに社会の波にのみ込まれていきます。ランドールはメディアに利用され、ケイトは怒りによって孤立していきます。マッケイ監督はこの過程を、ニュース番組の編集テンポと情報の多さで表現します。真実が過剰な情報の中で意味を失い、欺瞞が正義の顔をして語られる時代を、映画は冷静に映します。笑いながら観ることのできるこの作品ほど、現代が痛々しく感じられるものはありません。
崩壊と救済のゆらぎ
彗星が空を覆う後半、マッケイ監督は恐怖よりも人間の表情を追います。泣きながら笑う人、スマホを掲げる人、何もできず立ち尽くす人。その一つひとつが“理解”の形として描かれます。崩壊の瞬間にこそ、人は誰かと共にいようとする。救いは奇跡ではなく、他者と共にいるという行為そのものに宿ります。監督はその時間を批評せず、観察として見せます。破滅ではなく、気づきの時間として映しているのです。
沈黙が残す問い
終盤の食卓の場面は、作品全体のテンポを静かに止める時間です。音楽が消え、照明が自然光に変わり、食器の音だけが響きます。人々の表情には恐怖も涙もなく、受け入れる穏やかさが広がっています。マッケイ監督は観客に答えを示さず、沈黙を残すことで考える時間を与えます。世界が終わる時、人が誰とどのように過ごすのかという問いが浮かびます。沈黙は無力ではなく、理解と祈りの形として映し出されています。
キャスト/制作陣の魅力
レオナルド・ディカプリオ(ランドール・ミンディ)
『レヴェナント:蘇えりし者』『インセプション』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』など数々の名作で複雑な人間を演じてきたディカプリオは、本作で理性と混乱を抱える学者を繊細に表現しています。彼の演技は感情を大げさに語らず、呼吸や視線のわずかな揺れで心理を映し出し、メディアに翻弄される人間の脆さをリアルに伝えています。ニュース番組での笑顔が作り物のように見える瞬間、その内側にある崩壊が静かに滲み出ています。
ジェニファー・ローレンス(ケイト・ディビアスキー)
『ハンガー・ゲーム』シリーズや『アメリカン・ハッスル』『マザー!』などで知られるローレンスは、強さと脆さを同時に抱える女性像を描く俳優です。本作では真実を叫ぶ天文学者を感情に頼らず理知的に演じ、社会に押し潰されながらも誠実であろうとする姿を体現しています。怒りを爆発させる場面よりも、誰にも届かない言葉を噛みしめる沈黙の時間に、彼女の人間的な深みが宿っています。
メリル・ストリープ(オーリアン大統領)
『プラダを着た悪魔』『ダウト』『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』など演技の幅広さで知られるストリープは、本作で権力と軽薄さを併せ持つ大統領をユーモラスかつ冷徹に演じています。軽い口調の裏に計算があり、笑顔の奥に不安が潜む表情の変化が見事です。彼女の存在がこの映画を風刺劇として成立させ、現実の政治の滑稽さを痛烈に照らし出しています。
ジョナ・ヒル(ジェイソン補佐官)
『21ジャンプストリート』『マネーボール』『ウルフ・オブ・ウォールストリート』などで印象的なキャラクターを演じてきたヒルは、ストリープ演じる大統領の息子であり補佐官という特異な立場を、傲慢でありながらどこか空虚な存在として演じています。軽口や皮肉の裏に無責任な現代の権力構造が透けて見え、観客を不快にさせながらも笑わせる絶妙なバランスが光ります。

物語を深く味わうために
『ドント・ルック・アップ』を味わうときは、まず音の洪水に耳を澄ませてほしいです。テレビのニュース、SNSの通知、誰かの笑い声、すべての音が同時に鳴り、言葉が意味を失っていくその感覚が、この映画のリアリティです。誰もが語り、誰も聞いていない。監督はこの喧騒を批判ではなく現実として描き、私たちがどれほど「聞く力」を失っているかを静かに示しています。
もうひとつ注目したいのは光の変化です。スタジオの白色光は欺瞞を映し、夜の街のネオンは不安を照らし、終盤の食卓では自然光が理解と受容を象徴します。光の温度が変化するたびに、人間の思考も柔らかく変わっていきます。破滅を描く物語でありながら、映像には優しさが漂い、終わりの瞬間にこそ人間の真実が現れます。笑いながらも心の奥に静かな痛みが残るこの映画は、鈍感とは何かを問いかけています。そして、あの静かな食卓の光を思い返すたびに、騒がしい世界のなかで何を大切にすべきか、自分自身にもそっと問いかけられているような気がしました。
こんな人におすすめ
・現代社会の風刺やメディア批評に関心のある人
・ディカプリオ、ローレンスのリアルな演技を味わいたい人
・笑いの中に痛みを感じるドラマを求める人
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